人間関係は全てが「半分」でちょうどいいのかも?!

現役世代へ!頑張るのを減らしませんか?

|自分のことを理解して欲しい!がなかなか理解してもらえない!
最近はSNS等の通信手段が発達してきたこともあり、メール等で用件が伝わり必要以上のコミュニケーションは不要とされている風潮を感じます。

人間関係も不特定多数を相手にするのが可能なので、人付き合いは広く浅くなるのは当然の結果でしょう。

しかし、人は基本的に社会的な生き物で他の人との繋がりを求め、自己主張したい本能が備わっています。

人間本来の心の繋がりを阻害しているかも知れないSNSですが、自分の気持ちや行動を細かくSNSで発信したがるのは「自分という存在を認めて欲しい、理解して欲しい」という欲求の表れではないでしょうか?

お互いに顔も知らない人と「SNS上の友人」になったり、行動や気持ちを報告しあったりするのも同じでしょう。

ある知人の若者が「SNS上での友人を信じきれないから、多数の友人を作らないと不安になる」と話してくれたことがあります。


依存の程度に差は有るでしょうが、常に交信を続けることで、「自分のことを忘れないで、いつでもどこでも気にかけて理解してね」とメッセージを出し続けることで安心感を得ていると思えるのです。

「あなただけには・・」「君だけでも・・」理解して欲しいという気持ちは分からない訳ではありません・・が、厳しいことを言うと、自分のことを全て理解してくれる人など、どこを探してもいません!

逆に、自分が全て理解している友人などいないはずです。

現実的には、半分は理解しあえる友人が一人でもいるなら大が付くレベルで上等!です。

半分どころか4割だって十分だと思うのです。

不特定の多くの人達と、理解しあって密な付き合いをしたいと思う事は、ほぼ「妄想」の域といっていいでしょう。

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|相手のことも理解したいが・・難しい!

例えば、一番身近な相手は家族とりわけ「配偶者」と思いますが、長年連れ添ってきたからといって理解しあえるものでは無いというのが現実かも。

結婚するまで、二十年や三十年別々に生活して来たわけですから、積み上げてきた価値観や考え方も違います。

夫婦だからといって理解できなくても当たり前で、半分も分かり合えれば上々と思っていい理由です。

幼なじみや、家庭環境が似ている、共通の趣味がある・・ならまだしも、共通な部分がない夫婦では理解しあえるきっかけさえ見つけるのは大変と思います。

どうしたら少しでも理解し合えるようになるのか?人間関係における永遠の課題かも知れません。

卑近的な回答になりますが、互いの共通部分を見つける!ことだと思うのです。

趣味であったり、価値観のすり合わせ等々・・思いつかなかったり少ない場合は、焦らず時間をかけてでも共有できる事を見つけ出して、それを大切にしていくことに尽きる!のでは・・。

それでもなお、どうしても理解できない部分は無理して合わせようとはせず、放っておく!

大切なのは、理解できるレベルを上げることではなく、共有できるものを増やすことだと思うのです。

夫婦でさえこのレベル!これが友人や職場の同僚だと、もっと難しい。

この人と親友と呼べる関係になりたいと一方が思っても、その相手は人生の通過点の一人としか見ていない場合も少なくありません。

親友にしても、恋愛関係にしても「今日から親友」「今から恋人」と宣言したからといって、なれるものではありません。

何となく気が合う・・、気が付いたら好きかも・・、きっかけは別にして共有できるものが増えていたり、共有部分を一緒に探したいという気持ちを、お互いに持つことが出来るか否かが重要と思うのです。

これには相応の時間経過が必要になります。

そして、欲張らないことです!

完全な理解を強要しないこと、分かってもらうことも分かってあげることも全て半分で十分と割り切ることが大切。

「こんなに思っているのにどうして理解してもらえないのか」「理解しようとこんなに努力しているのに・・」、この部分の言い方を変えれば、押し付けない!縛らない!ことです。

例えば、食事を誘っても2回に1回は断られてOK、また断ってもOK。

「また誘うから」「また誘ってな」の人間関係は長く続きそうに見えませんか?

共有できることを双方が無意識で探そうとする土台になる部分が「半分で十分」の気持ちと思うのです。

|「気遣い」が生きるのは半分の心遣い!「おせっかい」は・・?

人間関係は半分の理解と縛らないことはとても大切な事ですが、同じ様に気配りについても半分で良い場合があります。

例えば、身近に悩んでいる友人がいるとします。

接し方は大きくは二通り、ひとつは言葉をかけたり、話を引き出して相談に乗る、元気づける等々何らかの行動で示す。

もう一つは、何も言わない、何もしない、そっとしておいてあげる。

多分、正解は無いと思いますが・・悩んでいる本人にしたら、「気遣い」や「おせっかい」「冷たい」など何らかの評価を下すことになるのでしょうが・・。

自分だったらどうでしょう?悩んでいる時はある程度「悩む時間」が必要と思うのです。

にも拘らず、悩み相談を強要されたり、いろいろアドバイスされたり、定番の台詞で「元気出せよ」「何とかなるよ」と通り一遍の励まし、しまいには興味本位も手伝ってか「こういう時は飲みに行くのが一番!話を聞いてやるよ」と誘われても、気分的に無理でホントに迷惑なだけです。

「落ち着くまで、そっとしておいて欲しい」が本音ではありませんか?!。

放っておかれる、腫れ物に触る様な対応は望まないが、かといって妙に気を遣われるのも嫌なものです。

「できる事があったら言ってくれ」と、気にはかけているがそれ以上は触れない、そっとしておいてくれる!この半分しか対応していない様な気配りは嬉しいと思うのですが・・如何でしょう?

蛇足です。

悩んでいる時は話を聞いて、アドバイスして欲しいことだってある!そっとしておいて欲しいだけではない!と、言われる方もいると思います。

でも、それは悩んでいるのではなく、迷っている場合と思うのです。

自分の中で既に結論は出ていて、それを肯定して欲しい!背中を押して欲しい!時に起きる欲求が経験上ほとんどでした。

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|理想に近い人間関係は?
人間関係で、最も怖れるのは孤立かも知れません。

夫婦や友人に限らず、人との繋がりの基本は孤立を防ぐための方法との見方もある様です。

つまり、自分の繋がっている味方は一人より二人、二人よりたくさんを求めたいから、人は群れて安心感を得たいのです。

一方で、群れた中から敵になる者を作り、群れでつぶしにかかろうとする事も多く、これは作り出した仮想の敵に対して共有する目的を持つことで仲間としての結束を確認したいだけ。

しかし、夫婦を含めてほとんどの人間関係には敵も、そして味方もいないと知ることが大切と思うのです。  

夫婦だから家族だからの視点で見てしまうと、違う意見に対して「お前は俺の味方じゃないのか?」と盲目的に肯定したものを期待してしまう。

夫婦だから家族だからこそ、本人にとって良かれと思う意見を言うのは当然のことと認識すべきなのですが・・。

自分と違う意見や考え方をする人を「敵」という見方をしてしまうことがおうおうにしてあります。

「敵」と認識した人に対しては、言動全て否定的に捉えてしまい、「敵」の成功を認めた周囲もまた「敵」になってしまい「敵」を増やす事に繋がり本来持っているはずのバランス感覚がおかしくなる。

敵が失敗すると喜んだり「ざまあみろ」とほくそ笑む、成功すると妬んだり足を引っ張ることを考えたり・・。

周囲から正しい判断ができない、歪んだ人間に見えてしまうと望まない孤立が見えてくる場合もある。

ほとんどの人は、味方ではないかも知れないが、敵でもない!ことを意識するだけでも、家族や友人、職場等それぞれ適切であろう距離感が掴めるようになると思います。

使い古された言葉ですが「人間関係は付かず離れず」は理想なのかも知れませんが、個人的には距離感を意識して「孤高はいいが孤立はしない!でも、群れることもしない」という生き方はカッコいいと思いませんか?!


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