|「わからない」ことをいつまでも考えない
不安になる根本の部分には、いくら労力や時間を費やして考えても分かるはずのないことを分かろうとする欲求が原因のひとつにあります。
その具体的な例としては、「将来に対する漠然とした不安」や「現況から推察する限界や閉塞感」等ではないでしょうか。
しかし、将来について、ある程度予測はできるかも知れませんが、実際は予測通りになるかどうかは分からないのです。
高い確率で起こるであろうことが起きなかったり、逆に120%あり得ないと判断したことが起きたり・・です。
かなり多くのデーターを揃えて、どんなに時間をかけて綿密に計算したとしても「当たるも八卦当たらぬも八卦」なのです。
当然ですが、将来に起こることがほぼ確定しているような不安材料があるなら、今の時点で打てる手を打つべきです。
しかし、何が起きるか分からないなら、徒に先のことを心配しても意味はありません。
そんな先の事を心配する時間があるなら、いま目の前のことに持っている全精力を注いだ方がよほど効果があると思うのです。
今できる事に集中して取り組むことで、心配していた将来が変わる可能性だってあるのですから・・。
何が起きて何が変わるか分からない将来のことを、いま心配したり不安に思ってもしょうがない!と理解することが大切です。
現実に問題が発生した時に、具体的に考えてその時に必死になって対応するしかないのですから・・!
その為の余力を持っていた方がよほど建設的です。
|忘れ上手は心の健康を守ってくれる
「忘れる」ことは、人間の自己防衛本能だという説もあります。
確かに、毎日起きる嫌なことを、いちいち覚えていたら楽しい生活など送れないのは当然ですが、気持ちが休まらず押しつぶれそうになる感覚を知ることにも・・。
でも、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とういう諺にもある様に、人間は時が経てばその時に味わった嫌な記憶は徐々に薄れて、最後は忘れてしまえる様にできているのです。
ただし、つまらない些細なことはどんどん忘れてしまうに限りますが、自分にとって都合の悪い事や、将来の自分にとって糧にすべき失敗や反省点をどんどん忘れるのは感心しません!
覚えておかなければいけない事や将来役に立つ様な辛い経験は、完全に消し去ることはせず自分なりに工夫して、必要に応じて取り出しが出来る様な記憶を整理する手法を身に付けることを勧めたい。
忘れたいが忘れてはいけないことの出来事があったら、取り敢えずはその時に生じた嫌~な気持ちともどもしっかりと味わい尽くして下さい。
その上で、例えばノートにキーワードを記す等、記憶整理の手法を用いてしっかり納めたら、後はきれいさっぱりと忘れてしまうことです。
嫌なことや忘れたいことを、ため込んでしまうとそれは「心のゴミ」になりますが、自分にとって将来成長の糧になるのか、ただのゴミなのかしっかり分別することで将来の可能性に影響を与えることになるかも知れません。
しまっておける引き出しが多い事は間違いなくいいことなのですが、整理した「将来の糧」になる材料が必ず必要になるかはまた別のことです。
何も分かっていない将来ですから、引き出しを開けなくて済むならそれでよし良し!位の感覚でしまっておいてもいいと思うのです。
|楽に構えて自分がすべきことに集中する
上司や周囲から「期待しているよ」等と言われると、張り切って期待に応えたいと思うのも理解できますし、それはそれでいいのです・・。
しかし、「期待に応える」ことが強迫観念のようになって、自分を縛り付けてしまうことになると状況は変わってきます。
つまり、思ったままに行動する自由が奪われてしまうからです。
そうなると期待に応えるどころか、焦りが先に立って、なかなか成果を出せずに苦しんでしまう事にも・・。
そもそも「期待に応えたい」という思いが、必ずしも期待通りの結果になるとは限らないのですから、自ら自分を苦しめることはないのです。
もっと気楽に構えることです。
上司も周囲も勝手に期待したのであって、自分はそれとは関係なく、目の前の事に粛々と取り組めばいいだけのこと。
頑張って得た結果が、たまたま上司や周囲の期待に応えるものであれば「よし」で、そうでなければ「次はもっと工夫してみよう」でいいのです。
他人の期待とは、少し距離を置いてもいいと思うのです。
期待する他人と、期待される自分との距離が広がることで、背負い込む重さは軽くなるでしょう。
もう少し辛辣にいうと、上司や周囲から「期待しているよ」の一言は発した側にしてみると、それほど重い意味合いを持っていない場合も多く、コミュニケーション的意味合いが半分以上と思っても大きく外れではないでしょう。
そんな一言に「絶対!期待に応えたい」と自分を追い込んでも苦しくなるだけです。
今、自分は何をすべきかを冷静に判断するのが最善の策であり、「期待しているよ」と自分に向かって言ってあげるのが楽になるためのコツかも知れません。
|「いい人」に見られたい!は止めましょう
多かれ少なかれ、人は他の人に「いい人」に見られたいがために「いい人の仮面」をかぶってしまうところがあります。
当たり前ですが、仮面をかぶると仮面の下にどの様な顔が有るのか?どんな表情をしているのか、全く見えません。
極端ですが、極悪非道な人間が凄みのある形相で睨みつけていても、付けている仮面が笑顔で声の調子が優しい感じなら、「柔和でいい人」に見えてしまうのです。
本性を隠すという意味では、仮面は非常に便利なものといえるでしょう。
現実には仮面をかぶらないまでも、自分の本心や正体を隠すために、見せかけの表情や言動を取り繕うことはできます、これも仮面といえるのです。
誰だって、周囲の人から「いい人」に思われたいものです。
なぜ、「いい人」に思われたいのか?ですが、これは基本的に「いい人」に思われた方が得だから!という損得勘定が働いた結果なのです。
だから、つい「いい人の仮面」をかぶってしまう・・気持ちはわかります。
ただ、かぶり続けるのは良くない!
自分でも、「素の自分」が何を考え、何をしようとしているのかさえ分からなくなってしまう。
最近は、実際に対面していなくても、SNSなどで常に誰かと交流している状態にあるせいか、ほぼ一日中仮面をかぶり続けている人が増えている様な気がします。
それは、とてもとても危険なことで、自分自身の人生なのか、仮面の付けたことによる価値観なのか区別が付かない状況になってしまう。
素の自分を見失ってしまってからでは遅いのですが、仮面をかぶっていた時間が長ければ長い程、素の自分を取り戻すのは難しい。
時間はかかりますが、常に「今の自分はいい人に思われたいと取り繕っていないか?自分の本心や本音は?」と自問自答という様な大袈裟なものではなくても、自分に話しかける習慣を身に付けることです。
これだけでも結構変わってきます。
|自分を「平均」と比較して評価しない!
誰かと比べて自分が下かも知れない、と感じると結構落ち込みますし、逆に自分の方が上と思うと例え僅差であってもいい気分になる、なんてことはありませんか?
人間というのは、少なからずそういうところはあります。
自己に対する評価が「人並み以上でありたい」と思うから、「平均」より下だと不安になり、上だと安心するのでしょう。
ただ、自分を「平均」と比較するほど無意味なことはありません。
全ての人のレベルを正確に測ることができる「物差し」が無いのですから、あれやこれや比較したところで優劣など付けられる訳がありません。
今までの習慣で、どうしても比較したいなら、絶好調の自分と比べることです。
これは成長するためのモチベーションと期待できるからです。
今の自分が、絶好調の時と比べて低い場合は、もう少し頑張ってみようかな!?位のレベルで、絶好調に近づけてみる。
絶好調の自分に達したと感じた時は、その状態を維持することと認識・記憶することを勧めたい。
もう少し欲深くいうなら、もう少し上の絶好調を目指して少し頑張れと言いたいところですが、少し頑張ると頑張り過ぎてしまう境界が今一つ自分の中で明確になっていないなら、当分は今の絶好調の維持でいいと思います。
気負わない!素の自分を大切にすると今よりもっと楽になる
[現役世代への提案]