スルーする!放っておく!のも穏やかな生活を過ごす能力のひとつ

現役世代へ!頑張るのを減らしませんか?

|スルーするか否かを見極めると人生楽になる!
私たちの周りには、自分の力だけではどうにもならない事がたくさんあります。


仕事上の人間関係をはじめ、過ぎたことやこれからのこと、直近の心配なこと・・、今気にしてもどうする事も出来ないと知っていても、ついつい気に病んでしまうことが多い。

社会が複雑になり、昔と比べると気に留めることが増えて来たからかも知れません。

例えばSNS!

不特定多数の人と繋がる、或いはメールで友人?が増えることはいいかも知れませんが、見方によっては監視しあう、いきなりの無視や誹謗中傷も起こる土台になる場合もあります。

人間関係は量より質を重視、面識ない人からの意見や行動はスルー
する。

そんな心構えを持つだけでも気持ちを楽にするための入口になると思うのです。

更に、少し進めてスルーして良い事は勇気を持ってスルーする!放っておく!見て見ぬふりする!位の気持ちを持つと、目の前にある本当に大事なことが見えてくるでしょう。

煩わしいことを抑えて、今できる事やすべき事に集中しましょう、毎日を穏やかに過ごすための方法のひとつです。


|イメージが悪い?!「スルーする」「放っておく」「見て見ぬふりする」

社会的に印象が悪い言葉を並べただけの様に思われるかも知れません。

やらなければならない事を放置する、不正があっても見ないふりをする、やってきた事をやりっ放しでしまいには途中で投げ出してしまう・・等、無責任の極めつけと感じてしまうのでしょう。

その感覚は間違っていないと思いますが、綺麗ごとではなく私達の周囲には見て見ぬふりをしたり、放っておく方が良いこともたくさんあると思うのです。

そのひとつは情報量の多さ!例えばSNSの発達により、真偽不明の人間関係も形成されていますし、職場においては昭和世代と平成世代間では、価値観や思考回路も大きく異なり人間関係自体が複雑になったと感じませんか?

ひと昔前の昭和一桁世代と昭和後半世代との隔世感を遥に越えた違いで、きめ細やかな対応は不可能になったと言えるでしょう。


|SNSも所詮はコミュニケーションツール

今の時代、一国のトップさえ政策や国の一大事をSNSで発信しています。

世界中の多くの人達に瞬時に情報伝達できる手段として、大変有効で便利なツールであることは間違いありません。
便利であるが故に、不安材料があるのも当然なのです。

ツールとして使っているつもりが、気が付いたらドップリ浸かって画面を開かないと落ち着かず、身動きが取れなくなってしまった。

コミュニケーションの相手の顔や本心が見えない分、発言や主張に配慮が無くなることで一旦争いになるとエスカレートしてしまう事も起こります。

不毛な争いを避ける為にも、言い合いになりそうな雰囲気になった時点で一呼吸置いて、相手からの連絡をスルーし、一定期間放っておくなどの冷静さを、保つことが重要と思います。

また、拡散される情報の信憑性にも注意が必要になってきます。

悪意を持って捏造されるニュースや、特定の個人を狙っての誹謗中傷、社会の不穏な動きの助長や扇動・・等々、情報を受ける側に真偽を見極めるための判断は難しい。

これも、ある意味余計な神経を使わせられる事になります。

SNSは単なるコミュニケーションの道具として割り切って、完全な「スルー」や「見て見ぬふり」でなくても「少しスルー」や「チラ見の見て見ぬふり」でも上手に使って精神的負担を最小限に抑えて欲しい。

|コミュニケーションが必要と言われる職場はどうでしょう?

現在と比較しても昭和時代の職場は人間関係が濃かった。

お中元やお歳暮、年賀状を含めて年始年末の挨拶、慰安旅行や花見など職場の行事には参加するのが当然。

仕事を終えて、上司から今の時代死語になっている「飲みニケーション」と帰りがけの酒を誘われたら、断る選択肢はなし。

話題もガンガンとプライベートに踏み込んで普通。

今の若い世代は、そんな煩わしい人間関係は勘弁して下さい!と、仮病を使ってでも逃げ出したくなるのかも知れません(実際にいました)。

そんな濃い人間関係も悪い事ばかりではありません、結束力を高めたり、職場では話せない腹を割った相談もでき、人間関係も近くなるというメリットは無いわけではありません。

しかし、職場では相談されない限り、人のプライバシーには立ち入らない!ことを前提にした方が、人間関係は絶対にうまくいきます。

特に今の時代、少し濃くなるだけでもハラスメントが生じる可能性が高くなるからです。

そんな積りでは無かった!は言葉を発した側の勝手な論理。

プライベートな話は、話したい人任せが鉄則で、あれこれ詮索しているのではと受け取られる様な発言や話題はルール違反と心得ましょう。

ここでも、この話題は大丈夫か?と少しでも迷ったら、話には加わらなでスルーする!聞いても聞かぬふりして反応しない!に徹することをお勧めしたい。

|嫌いな人と上手くやる!見て見ぬふりの勧め

個別に嫌いな人と上手くやっていくにはどうしたらいいのでしょうか?

プライベートなら、嫌いな人と距離を置いたり接点を持たなければ問題は無いのでしょうが、職場や仕事上の付き合いでは、そうは行きません。

「この人嫌いだ」と思っていると、自然と顔や態度に出てしまい、嫌いオーラを感ずかれて上手くやっていくのが難しくなることが多い。

どうすればいいのか?・・・・・・・答えはひとつ!割り切るしかありません。

仕事の結果を出す事だけに集中する、そのために必要な範囲で上手くやろうと心がける事。

嫌いな人に対しては余計に嫌な事ばかり目に付くものですが、そこは「見て見ぬふり」に徹するのもひとつです。

嫌な言動に対しては、「また始まったな!」位に軽く受け流して、話題を変えたり、席を外したり、かわすためにやれる事を事前に考えておくというのも有りです。

この嫌いな人が、同僚だったり部下だと上司から注意や進言をしてもらおうと手を尽くす事を考えるかも知れませんが、他人を変えるのはほぼ不可能

人に限らず、世の大抵のことは自分の思い通りになることなどほぼ無いのです。

「思い通りになるのは、自分だけ」
と当然のことなのですが、思い至らないみたい。

コントロール不可能な他人のことは、放っておく!自分の価値観や考え方が少し変わったらどうだろう?と思考を変えてみる事に集中した方が手っ取り早くストレス軽減・・ということになります。

|「家族」は好き!といえども別の人間と認識すべき

好きで結婚した配偶者、そして血を分けた子供、家族という繋がりは当然ですが他人が及ばないレベルで強い。

しかし、「家族だから、黙っていても理解しあえるのは当然」ではありません。

家族といえども、一人一人好みも価値観も違うのですから、全て分かり合えるのは不可能
なこと。

分かり合うための会話は必要ですが、考え方や価値観を変えさせたり強要することは無理です、子供に対しても強行すれば不和が生じるのは当然なのです。

家族関係で大切なのは、「家族といえども、違う人間」と認めることです。

互いの生き方を尊重し、自分の価値観や考え方を示すのはいいが・・押し付けず、相手の意思を尊重し見守ってあげることが重要と思います。

逆に家族関係で最も注意したいのは、自分の価値観や考え方では理解できない行動をとる家族に対して、頭ごなしに否定や侮蔑することです。

「家族なのだから、自分の気持ちは理解してもらえるはず」が基本にあると起きてしまう場合が多い。

譲って意見を言うのはいいと思いますが、強要はいけません。

「家族であっても違う人間」であることを忘れてはならない・・が教訓です。

少し卑近的ではありますが、配偶者の・・こんなところは嫌だ!は必ず一つや二つはあると思います。

例えば、食後の食器洗い!いつまで放って置くのか?脱いだ靴下くらい自分で洗濯機に入れて欲しい!出した物の片付けは何度注意したら・・?お互いに、不満はあるのは普通と思います。

夫婦と言えども結婚して一緒に生活するまで、別々の家庭で生活してきたので価値観や習慣は違って当たり前
なのです。

その部分に納得すると、生活するのに大きな支障がなければ多少は「見て見ぬふり」も夫婦間の緩衝材になると思います。

後は、機会をみて「変えてくれ!」ではなく、「こう思うよ・・どうだろう?」と伝えるだけでいい。

所詮、他の人を変えるのは無理ですから、自分(の価値観)を変えるか、他人に対して許容量を増やすために「少しのズボラ」を取り入れるか、はたまた少しの「見て見ぬふり」を決め込むか・・!どれもいいと思いますよ。

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